だからね、「政府」や「経営」なんて人格は存在しないのよ……
やはり、インターネットにはろくでもない大馬鹿者がいますね。
私は以前このような記事を書きました。
氷河期世代の正社員化にまで文句を言い出す馬鹿者どもはどうしようもない - 経済人
それに対し、あまりにも馬鹿なコメントが来たので、しばらくブログの更新すら馬鹿らしくなってしまいました。もちろん、個人的な仕事のほうが忙しくなったというのも大きな要因ですが……。
私のブログに寄せられたコメントを引用します。
id:hobbling 氷河期も正社員化も政府や経営側の都合にすぎない。それに振り回されて苦しんでる人間に対して「文句言うな、ありがたく思え」だと?お前は何様のつもりだ?呪われて地獄へ落ちろ!
まさか自分の意見を発表しただけなのに、「呪われて地獄へ落ちろ」とまで言われてしまうとは思いませんでした。
このid:hobblingという方は、よっぽど世間というものに恨みをお持ちのようです。もちろん、ネットだから好きに喚いて発散してもいいではないか、という考え方があるのは理解しています。
しかし、その宛先が私である以上、お応えしないわけにはいきません。
私は、前回の記事で、「政府」や「経団連」みたいなものが何かしら明確な意識を持って活動しているわけではないという主旨のことを述べました。
つまり、「悪意を持った団体がいて、彼らは自らの利益のために弱者を意図的に虐げている」という世界像は間違っていて、氷河期世代や子育て世代の貧困は、むしろ合成の誤謬の問題だと言うことです。
そして、本当の問題を認識しようとせずに、ただ「地獄へ落ちろ」と吐き捨てるような人間、それに快楽を覚えてしまった人間は、どうしようもないです。
しかし、そのような人間を救おうとすることこそが、福祉の課題だということも認識しています。
いやはや、どうしたものか……。
とりあえず、ネットで悪態しかつけないような人に比べて、政府や企業の方々は何倍も立派にやっていると思いますよ。
たしかに、自己責任論は強者の理屈であり、不遇な人に「もっと頑張れ」と言うのは間違っています。
しかし、そういうのは程度の問題ですからね。
それこそ己の利益のためだけに、何か間違った原則を信奉しようとする人間がインターネットには多いのでしょうね。
念のため、私は何に対しても文句を言うなと主張しているわけではありません。ただ、不当に暴言を吐かれたのでそれにお応えしたまでです。
氷河期世代の正社員化にまで文句を言い出す馬鹿者どもはどうしようもない
バブル崩壊後の数年間に、新卒として就職活動をしていた時代を、いわゆる就職氷河期世代と言う。
単純に、企業が採用を絞ったので、正社員になれた人が少なかった世代だ。
実は、私もその世代に一応当てはまることになる。
今でこそ、イケダハヤト氏のようなブロガーが、就職や正社員とは別の受け皿をつくり始めているが、当時は今よりまだもう少し不寛容だった。
正社員になれなかった人達は、なかなかに辛かったのだと思う。今もその恨みを引きずっている人は少なくないのだろう。
しかしそれは、一体何に対する恨みなのか? というのは、各人がよくよく考えてみるべきことのように思う。
バブル崩壊や、企業が採用を絞ったことは、誰か特定の一人の過失に還元できるようなことではないと私は考えるのだが……。
それとも、やはり「戦犯」を探し続けることに夢中になる国民性なのだろうか?
Yahooニュースで、このような記事を見た
政府は来年度、バブル崩壊後の就職氷河期(1990年代後半~2000年代前半)に高校・大学などを卒業し、現在は無職や非正規社員の人を正社員として採用した企業に対し、助成金を支給する制度を創設する。
とある。素晴らしいことだし、大いにやってほしいと思う。
しかし、コメントを見て、これに好きなだけ文句をつける輩が多くて辟易した。
個人攻撃をする意図はないので、引用だけするのだが
10年以上遅い…… 30歳前後の頃ならまだ結婚とかの目もあったのに、40歳前後まで非正規という層が労働人口のボリュームゾーンとか、労働問題的にも少子化問題的にも詰んでる。 10年前の政権って…… あっ!
労務人生の前半にある程度の金銭や身体の自由を得るから勤労意識や人生を豊かにする意識が養われるのであって、もはや中盤~後半にかかって束の間の自由すら持たせなかった世代に今更何を求めてる?
なんて今更。我々はもう年を取りすぎてしまったわ。ほんと労働問題については自民党政権のクソっぷりを許せない
いまさら「生産年齢人口が減ってきたからおまえらも働かせてあげるね」とかいわれても、40歳前後までロクに働く機会を得られなかったぼくら世代の人間が、急に都合よく「働き盛り世代」になれる気はぜんぜんしない。
今更遅い。正社員にしても「スキルがない」とか言って給与は20年前の40代の半分くらいしか出さないんでしょどうせ。弄ぶのもいい加減にしろ。「大したスキルや経験のない中年」って企業内で一番蔑まれる。
(これは酷い意見を抜き出したもので、懐疑的に見ながらも「やらないよりはずっとマシ」という良識のある意見も多かったことを一応言っておく)
君たちは、いったい何を言っているのか……。
まさか、30代後半、40代にもなって、親の教育なんかに文句を言ったりしているわけではあるまいな?(私は以前同世代のそのような人間を見て寒気を覚えた記憶がある。)
人それぞれ事情があるにしても、本来なら自分が親になり、子供という理不尽に向き合っていていいような人生のステージなのに。
あるいは、ネットでこの種のようなことを言う輩は、現実は実は充実していて、工作員のように現政権を批判する言説を継ぎ足しているのか……。
世代的なディスアドバンテージがあることは認める。しかし、ディスアドバンテージがあったからと言って、そこまで政治に文句を言える筋合いでもなかろう。
文句を言う人達も、常日頃から政府が指示した通りに生活しているわけではないだろう?
それなのに、なぜ自分の進退の全責任を政府に求めるような言い方ができるのか……。
少し考えれば、「政府」や「政策」というものに属人的な意図も悪意もなく、もっと場当たり的でシステマチックで利害関係の結果として生まれたものがほとんどだと言うことがわかるだろうに。
もう一度聞きたいのだが、「君は一体誰に文句を言っているのか?」
……もちろん、恨みたくなるような気持ちはわかる。
しかし、もう我々は大人にならなければならない年齢になってしまったのだ。それは仕方ない。
これからでも、少しずつできることを見つけていく……という前向きな気持ちでは考えられないだろうか?
そもそも、40代とはそこまで絶望する年齢なのだろうか?
堀江某のような言い方になるかもしれないが、非正規雇用でもいいから日本で懸命に働いて、アジアの途上国などにでもいけば、おっさんでも普通にモテるぞ!
もちろんそのような考え方に私が与するわけではないが、絶望しているのなら、そういうことを考えてもいいのではないか。
なんだかんだで、日本人の若い女の子と結婚したい……みたいなものを大切にしている?
ともかく、同世代の一員として、皆に頑張って欲しいと思っている。私も日々頑張っている。
「ポケモンGO」を擁護する人の本質的な怖さ
朝日新聞のデジタル版で、「ポケモンGO」を使いながら運転中の車に息子を轢き殺された父親が、ポケモンGOを車で操作できないように訴えているというニュースを見ました。
ポケGO「車で操作できぬように」 小4死亡、父が訴え:朝日新聞デジタル
これに関して、疑問を呈するならまだしも、攻撃的な言葉を使って厭わない人達を見て、驚きました。
中には
はい、バカ決定!!またまた悪意よりも不注意よりも科学技術のせい!!!石器時代からやり直してろ! / “ポケGO「車で操作できぬように」 小4死亡、父が訴え:朝日新聞デジタル” https://t.co/wbkeg5Pk6Q
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年10月29日
という強い言葉を使って父親を責め立てる輩すらいます。
父親の主張は
これ以上、犠牲を出さないように、車に乗ったら一切操作ができないような対策をとってほしい
というものですが、子供が轢き殺された父親の主張としては、ごく当たり障りのないもののように思えます。
「ポケモンGO」というアプリを廃止しろというのではなく、車に乗ったら何らかの制限がかかるようにしろ、ということですから。
もし私が息子を失ったら、冷静さを欠いて「ポケモンGOは絶対に許さない!」と叫んでしまっていたでしょう。
この件に関して、私は、「アプリを起動しながら50キロ以上の速度で移動したら、その後10分程度はポケモンやアイテムをゲットできない」くらいの仕組みにすれば、アプリケーション側でも十分に対策可能だと思います。
「電車の中でプレイできなくなる」という声もありますが、そもそもポケモンGOが電車に乗りながら遊ぶものだとは思えないし、実際に被害者が出ている以上は、それに配慮して何らかの対策をとるべきです。
本来なら自動車自体を規制すべしというのはもっともだし、ポケモンGOに限らず他のスマホアプリなどでも同じことは言えます。
しかし、位置ゲームというポケモンGPの特性上、車に乗りながらやるメリットがあるわけで、そのメリットの部分をなんとかしろというのは、至極真っ当な訴えだと私は思います。
あらゆる「新しいもの」は不当な差別に合います。各メディアが、「ポケモンGO」に限らず、新しいものを理不尽に貶し、それを喜んで見る層が一定数いることも知っています。
しかし、「あらゆる新しいものは不当な差別に合う」という事情を背景に、インターネットで誰かを貶そうとする人間もまた醜い。
人としての当たり前の配慮や思いやりを忘れるべきではないと思います。