経済人

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「ポケモンGO」を擁護する人の本質的な怖さ

朝日新聞のデジタル版で、「ポケモンGO」を使いながら運転中の車に息子を轢き殺された父親が、ポケモンGOを車で操作できないように訴えているというニュースを見ました。

ポケGO「車で操作できぬように」 小4死亡、父が訴え:朝日新聞デジタル

これに関して、疑問を呈するならまだしも、攻撃的な言葉を使って厭わない人達を見て、驚きました。

中には

という強い言葉を使って父親を責め立てる輩すらいます。


父親の主張は

これ以上、犠牲を出さないように、車に乗ったら一切操作ができないような対策をとってほしい

というものですが、子供が轢き殺された父親の主張としては、ごく当たり障りのないもののように思えます。
「ポケモンGO」というアプリを廃止しろというのではなく、車に乗ったら何らかの制限がかかるようにしろ、ということですから。
もし私が息子を失ったら、冷静さを欠いて「ポケモンGOは絶対に許さない!」と叫んでしまっていたでしょう。


この件に関して、私は、「アプリを起動しながら50キロ以上の速度で移動したら、その後10分程度はポケモンやアイテムをゲットできない」くらいの仕組みにすれば、アプリケーション側でも十分に対策可能だと思います。
「電車の中でプレイできなくなる」という声もありますが、そもそもポケモンGOが電車に乗りながら遊ぶものだとは思えないし、実際に被害者が出ている以上は、それに配慮して何らかの対策をとるべきです。


本来なら自動車自体を規制すべしというのはもっともだし、ポケモンGOに限らず他のスマホアプリなどでも同じことは言えます。
しかし、位置ゲームというポケモンGPの特性上、車に乗りながらやるメリットがあるわけで、そのメリットの部分をなんとかしろというのは、至極真っ当な訴えだと私は思います。

あらゆる「新しいもの」は不当な差別に合います。各メディアが、「ポケモンGO」に限らず、新しいものを理不尽に貶し、それを喜んで見る層が一定数いることも知っています。
しかし、「あらゆる新しいものは不当な差別に合う」という事情を背景に、インターネットで誰かを貶そうとする人間もまた醜い。
人としての当たり前の配慮や思いやりを忘れるべきではないと思います。